初プレイから数カ月放置していた Chants of Sennaar をやっと真エンドまでクリア。 真エンドまでプレイするとかなり印象が変わります。 絶対に真エンドまでプレイしてみて欲しい作品ですね。 真エンドをプレイしてはじめて、製作陣が伝えたかったメッセージが明確になります。
このサイトではレビューを書くつもりはなかったんですが、面白すぎたので書きます。
感想 #
製作陣が伝えたいテーマは超端的に言えば「相互理解」です。 どのように相互理解が描かれるか?を理解するには、真エンドに至るプロセスを把握することがカギです。 まず、真エンドまでの手順を振り返ってみましょう。
真エンドを目指すには、民族間の分断を克服する必要があります。 プレイヤーは各階層に存在する管理者「孤独の民」から民族を解放することが求められます。
解放することで、民族たちは交流の意思を示し始めます。
主人公は異なる民族間でのコミュニケーションを助けるために仲介者としての役割を果たします。 ある民族の言葉を別の民族の言葉に翻訳し、理解を深めることが任務です。
この任務を完遂することで、各民族は互いの言語を表面的に理解するようになり、真エンドに到達することができます。
真エンドでは表面的な理解を超えた、価値観の共有が描かれます。 空中に浮かぶ一つの図形が回転し、それに伴って各民族のグリフが次々と現れます。 グリフは、修道院の言語で「神」、兵士の言語で「義務」、吟遊詩人の言語で「美」、錬金術師の言語で「変性」、隠遁者の言語で「孤独」を意味します。
これらのグリフは、各民族が最も重視する価値観や概念を象徴しています。 一つの図形から浮かび上がることで、これらの価値観が共有可能であることを示しています。 この表現方法は本当にうまいなと感じました。 最後に、民族たちが交流を始める様子が描かれます。
真エンドまでの過程を振り返ると、相互理解のステップがまさにそのままゲームプレイとして現れていることが分かります。 交流の意志を示す → 表面的な理解を通じてコミュニケーションを取る → 価値観を共有する。 テーマをゲームプレイにうまく落とし込んでいる点が珍しいし、上手だなと思いました。 通常エンドは、言語パズルを解読し、言語を表面的に理解することで到達できます。 しかし、言語の理解だけでは分断は解消されません。 実際、通常エンドは分断された世界が続くバッドエンドです。 その先に描かれる真エンドにこそ、このゲームの魅力が詰まっています。 ぜひ、プレイしてみてください。
補足、「孤独の民」という都合のいい存在に疑問を抱く人はいるかも。 現実の分断は単一の原因によって引き起こされるわけではないからです。 問題を矮小化している点はこのゲームの欠点と言えます。 より納得のいく方法で問題を扱ったゲームが登場することを期待したいですね。